先日 父からの電話で
自分の役に立たない不甲斐なさと パターンの難しさから
父に グダグダと 弱音を吐いた
かえってきたコトバは 直球だった
「おまえは弱過ぎる 昔から 弱過ぎる 強くなれ
誰が悪いでもない お前が悪いんだ 強くなれ 努力をしろ」
正論過ぎて 真っすぐに 届いた
自分の愚かさを 痛感し コトバを失うわたしに
「会えない分 顔が見えない分 心配なんだ 俺も辛いんだ
厳しいコトを言ったけれど 前進しろ 気丈でいろ」
厳しくも あたたかい あたたかい 言葉だった
冷静さを取り戻し わたしはまた励む
一週間後 実家から小包が届いた
お礼の電話をかける
先日の父とのやり取りを気にしていた母はやさしい声で
「頑張りなさい 励みなさい ヒトの3倍の努力をしなさい
頑張るのをやめたら 乗り越えなきゃ そこで終わってしまう
経験を積むしかないんだから 頑張りなさい」
父も 母も 幼い頃から
「自分で学べ 失敗から学べ 自分の力で前進しなさい」
良いモノは良い 悪いモノは悪い
真っすぐに 直球に 明確に 向き合ってくれた
理解するまで 向き合ってくれた
父と母の娘で良かったと 心底 思う
エベレストのように気高い山を目の前に
少しでも登れるように あしたも励むのだよ アツコさん
2012-03-21
2012-03-11
3.11 2011
東日本大震災 原発事故
ブログで何度も書いてきたけれど
1年前のわたしには たにんごとでしかなかった
揺れ続け 目の前で あちこち地面が割れ 液状化していても
なんの実感も無く 冷静で 電車が動かないと思い 早々に歩き出した
5時間かけて 帰宅する途中
当時 疎遠になっていた両親から連絡が来た
その連絡にも 素っ気なく 淡々と答えた
帰宅して 疲れ果てて 寝てしまった
深夜 ネットのニュースで津波の映像を見た
「なぜ 自分が死ななかったのだろう」
「自分が死ねばよかったのに」
そんな言葉を放つわたしに 友人たちが怒っていても
よく わからないでいた
誰かを亡くしたでもなく
家を失ったでもなく
断水しているだけの部屋で 温かいベッドで寝ていたのに
わたしのココロは死んでいた のだと思う
あの頃は 色んなコトが重なり過ぎていて 何も見えていなかった
わたしの味わったコトは わたしにしか分からない
同情をして欲しくもなければ
同じ思いを しているヒトがいないコトを願う
被災者の受けたココロの傷も 失ったモノの大きさも
わたしには わからない
無慈悲なのかもしれないし ココロがまだオカシイのかもしれない
3.11
忘れるコトのない 特別な日ではあるけれど
1年経った いまでも 言葉を持つコトはできない
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