2012-12-10

にんげんみ

一年前に書いた
来年のわたしは どんなコトバを持つのだろう

一年後のわたし
コトバを持っていない

抱けにくくなっていた感情は
抱かなくなるであろう感情は
抱くようになっている

にんげん なんだと 感じる

イタズラに いろんな空気や温度に 敏感だった
それを泳がせながら 流してゆく

すこし バランスを崩したとき
とめどなく 流れてゆく


いまのわたし コトバ を もたない

もてない

もたないでいたい

2012-10-09

ことば

思っているコトを 文字で伝えて 
どれだけ 届くのか

伝え手も 受け手も 文字で何を感じるだろうか

ことばは 声で届けたい
向き合って 目をみて 温度を感じながら

大事な話しであればあるほど

大切な ヒトならば なおさら



2012-08-19

やさい


やさいを食べると 身体が喜ぶ

ささっと茹がし やさいの歯ごたえをのこす

味付けは シンプルに

オイル 塩 ブラックペッパー ときより 生姜酢


今日のオイルは ごま油



2012-07-08

ひとはり ひとはり









長年にわたり
何人のパタンナーがピンを打っただろう


年期のはいった わたしのあいぼう


このヒトがいないと 何もできやしない


幸い どこも ヘコんだりはしていない


ワタを あてて
地の目を追って シーチングを纏わす


ひとはり ひとはり


3ミリ間隔程度で


バストラインから上の
せなか全面 前側面 くび


ちっち ちっち...  まつること1日


これからも ヨロシク 10Missさん



2012-05-18

たいあん



めずらしく 外出


帰り道 こうはいが 
たいやき屋さんをみつける


ブランドのみんなに お土産


焼き置きはなく
オーダーから焼いてくれる


焼けるまで のんびり





待っている10分もない間に
ランドセルをゆらしながら 
小学2年生くらいのチビッコが
次々とやってきた


「今日はありがとうございました
 とっても 美味しかったです
 また来るねーーーーーーー!」


1学年 60人で
近所のお店屋さんをまわる
社会見学の日


「たいあん」さんに来たさい 
折角なので 子供たちに たい焼きを食べてもらった と お兄さんが教えてくれた


下校途中の 子供たちが お礼を言いに来ていた


焼きたての ホカホカのたい焼き
お腹も ココロも ホカホカにしてくれた


「たいあん」さん に チビッコたちに ありがとう



2012-04-30

いとこ

わたしには 同じトシのイトコがいる
けいこちゃんは 小さいときから仲良しだった


おそろいの服を着て カバンを持って
一緒の合唱団にも入ってた
お泊りの日は 夜中まで話し込んでいた


いろいろ事情があって しばらく疎遠になっていたけれど
おじいちゃんが 再会させてくれた


わたしの帰省が決まると 
イトコのチビちゃんたちよりも 喜んでくれる


このGW 1年半ぶりに帰省する
けいこちゃんの実家でお泊まり会
たいしたモノ作れないけど がんばるね!とメールが来た
そのココロが 何よりも嬉しい


とても 暖かく 天真爛漫な 慶子ちゃん
敏幸はピカピカの1年生
甘え上手のまあちゃん
頼りがいのある 伸さん


やっと会えるのが とても とても 楽しみ


再会のキッカケをくれた おじいちゃん ありがとう
けいこちゃんの 優しさに ありがとう



2012-04-02

おわり と はじまり

何かの おわりは あたらしい の始まり


始まったばかりの 自分が 卒業を迎える
素敵な時間は 儚かった


わたしが迎える あたらしいは 未知
良いコト なのか 否かは いまのわたしにはわからない


インプットすべき コト  多すぎて パンクしないだろうか
アウトプットすべき コト  経験を積むしかない
やってみなくては わからない


素敵な時間が 儚くなるコトを わたしは知っていた
あたらしい 時間も 気持ちの良いモノに したい


自信が コナゴナになっていた矢先の展開
いろんなコトを並べれば 
この「おわりとはじまり」は必要だと思う

2012-03-21

優しい コトバ

先日 父からの電話で
自分の役に立たない不甲斐なさと パターンの難しさから
父に グダグダと 弱音を吐いた


かえってきたコトバは 直球だった


「おまえは弱過ぎる 昔から 弱過ぎる 強くなれ
 誰が悪いでもない お前が悪いんだ 強くなれ 努力をしろ」


正論過ぎて 真っすぐに 届いた
自分の愚かさを 痛感し コトバを失うわたしに
「会えない分 顔が見えない分 心配なんだ 俺も辛いんだ 
 厳しいコトを言ったけれど 前進しろ 気丈でいろ」


厳しくも あたたかい あたたかい 言葉だった
冷静さを取り戻し わたしはまた励む


一週間後 実家から小包が届いた
お礼の電話をかける


先日の父とのやり取りを気にしていた母はやさしい声で


「頑張りなさい 励みなさい ヒトの3倍の努力をしなさい
 頑張るのをやめたら 乗り越えなきゃ そこで終わってしまう
 経験を積むしかないんだから 頑張りなさい」


父も 母も 幼い頃から 
「自分で学べ 失敗から学べ 自分の力で前進しなさい」
良いモノは良い 悪いモノは悪い
真っすぐに 直球に 明確に 向き合ってくれた
理解するまで 向き合ってくれた


父と母の娘で良かったと 心底 思う


エベレストのように気高い山を目の前に 
少しでも登れるように あしたも励むのだよ アツコさん



2012-03-11

3.11 2011

東日本大震災 原発事故 
ブログで何度も書いてきたけれど
1年前のわたしには たにんごとでしかなかった

揺れ続け 目の前で あちこち地面が割れ 液状化していても
なんの実感も無く 冷静で 電車が動かないと思い 早々に歩き出した
5時間かけて 帰宅する途中
当時 疎遠になっていた両親から連絡が来た
その連絡にも 素っ気なく 淡々と答えた

帰宅して 疲れ果てて 寝てしまった
深夜 ネットのニュースで津波の映像を見た

「なぜ 自分が死ななかったのだろう」
「自分が死ねばよかったのに」
そんな言葉を放つわたしに 友人たちが怒っていても
よく わからないでいた

誰かを亡くしたでもなく
家を失ったでもなく
断水しているだけの部屋で 温かいベッドで寝ていたのに
わたしのココロは死んでいた のだと思う

あの頃は 色んなコトが重なり過ぎていて 何も見えていなかった
わたしの味わったコトは わたしにしか分からない
同情をして欲しくもなければ 
同じ思いを しているヒトがいないコトを願う

被災者の受けたココロの傷も 失ったモノの大きさも
わたしには わからない

無慈悲なのかもしれないし ココロがまだオカシイのかもしれない

3.11
忘れるコトのない 特別な日ではあるけれど
1年経った いまでも 言葉を持つコトはできない

2012-02-29

5年前の2月最後の日



おじいちゃんが大好きです


そう 5年前の3月1日に手紙を書いた
この世で おじいちゃんにおくる
最後の手紙


地元に帰れば
実家にいれば


会いに来てくれる気がする




2006年10月
友達の結婚式で帰省したとき
着物を着たから 見に来てと 会ったのが最後
10日後 くも膜下出血で倒れてしまった


手術は成功した 意識は戻らなかった
年明けに帰省した時は 毎日 病院に行った
最後の日 「またくるね」と手を握ると 強く 強く 握り返してくれた
麻痺で動かないはずの左手で 
意識のない おじいちゃんの強い握力に ビックリした


わたしが次に会った おじいちゃんは 永久の眠りにいた


2007年1月末 「覚悟を決めてください」と言われたと聞く
2月には 家族の皆 覚悟を決めたと言った


わたしには まったく 覚悟はつかなかった
おじいちゃんが「いなくなる意味」を受け入れたくなかった


5年前の 2月最後の日 夜 寝る前
「もうそのときなんだ」と覚悟が下りてきて 眠りについた
よく朝 おじいちゃんは旅立った


わたしを待っていたかのように 早朝に 
母の祖母が亡くなったとき 
「俺はあと10年生きれれば良い」と言った 10年後に 旅立った


トキが解決する と ヒトは言うけれど
5年経ったいまでも 命日前日 命日 誕生日 には 涙があふれる


おじいちゃんには会えないけれど 寂しくはない
わたしのココロの中で おじいちゃんの魂は生きてる
わたしの身体で 世の中を見て 大好きなお酒を飲む
そんな 感覚に ときどき なる


あしたは「焼酎」を飲む



2012-02-07

おろかなジブン

ここ数年 ヒトを信じるとゆうコトがカンタンではない わたし
己と 目と 感覚の 未熟さゆえの経験から 難しくしていた


「信じるコトから始めましょう」と歩み始めたのに 
卑怯からの記憶が 頭をよぎった
卑怯を正当化はしないが責めもしない 卑怯にさせたのは わたしだ


また 何も分かっていないのではないかと
キレイな言葉で誘導されているのではないかと 
1つ疑うと 全てが歪んでいった


不安で 自信も持てず 気後れしていった
逃げようかと 諦めようかと 考えている自分が イヤだった


疑う自分を不幸だと 思った
信じるのは怖いけれど 疑いながら生きるくらいなら
信じて もし裏切られても そこから仕切り直せばイイ


信じるコトを辞めてしまったら わたしは一生 何も信じられなくなってしまう


冷静になっていった


わたしが疑ってしまった言葉は 誠意に満ちていた
その目に 言葉に 声に 空気に 偽りは感じられなかった
わたしが至らないだけなのに 
フォローの言葉と共に 自分にも責任があるのだと言った


自分が とてつもなく愚かで あさましく感じた
その誠意を 一瞬でも 私の中だけでも 汚してしまったコト
わたしの過去になにがあろうと してはいけない


今日の 愚かさを あさましさを 忘れてはいけない
肝に命じ さらに精進したい

2012-02-04

うつりゆく

自分の ココロ 思考 スタンス
これらのうつりかわりをみてゆくのは おもしろい


わたしの思考はわたしのなかで イチバン はやい
つぎにココロが追いつき スタンスへとなる


思考とココロには時差がある
ココロとスタンスは なだらかにつながる
ココロが思考に追いついた瞬間 思考は次へと進む


みちに起こるコトの 大まかなコトガラはわかる
分かるようになったとき この世がつまらなくなった
ゆくさきも 段階も わかっている ひどく面倒になった
50くらいで逝けたらいいなと考えていた


大まかなコトガラの「経緯」がどんななのか 楽しもうとする自分がいる
根拠のない直感と すこしのもどかしさを感じながら
これから どんなコトがおきて ソコへ行くのか


かけ離れた時差の 思考とココロが ときどき融合する

2012-01-25

アツコのヒ





1-25生まれだから 
アツコ ってわけではないけれど

覚えやすさから か

いろんなヒトから 
   お祝いの言葉が届いた

かぞく ともだち 
グローバルにわたり 届いた

お祝いの言葉に癒され 
   涙ぐみながらの帰宅





やりたいコトを やりたい場所で 環境で やらせてもらえる しあわせ


あたりまえは あたりまえじゃない と 感じられる しあわせ


支え合えるヒトがいる しあわせ

1年前までは しぼりだすようにまで 感じるコトはなかった
ながい ながい トンネルの先は 眩い







誕生日の日

「おめでとう」が届くのは 
   とても うれしい

ただ「祝ってもらう日」ではなく
「感謝を伝える日」だと思う

壮絶な痛みをもって 
この世に生みだしてくれた 
不自由なく 育ててくれた 
両親 兄弟 祖父母

どんな ときも
あたたかく支えてくれる 友人


いまがあるのは わたしが頑張れるのは みんながいるおかげ

アツコの日だからこそ 

ココロから おおきく ありがとう

2012-01-23

きえゆく 感情

ネガティブな感情すらも ゆっくり味わおう
そう思ったのは 去年のコト 夏前だった気がする


怒り 苦しみ 悲しみ ネガティブな感情は 
いずれ抱けなくなる日が来るのだと そんなコトをふと思った


ココロを失うでもなく
無関心になるでもなく
やりきれなさにも 落としドコロをつけ
ホンモノの強さと 優しさを身につけ
抱かなく 抱けなくなるのだと 思う


人間らしさの喜怒哀楽を抱けるうちに 味わっておこうと
その次期にあるのだと そんな空気を感じている


来年のわたしは どんな言葉を並べるのだろう


いろんなコトの答え合わせの為に
自分が 何を感じ 何をするのか 確認したい


ほんの少しは自分のタメにも生きてみよう

2012-01-22

母のゴハン

なんでも手作りしてくれた

餃子はキクラゲとレンコンも入ってて食感も楽しい
皮パンパンに包むから 大きい

煮込みハンバーグはデミグラス風
赤ワインとケチャップとソースで煮込む
柔らかくて 大きくて ジューシー

春巻きも野菜が沢山 パンパン
皮の裏表をすぐ間違える母

唐揚げは何種類もあった
天ぷらみたいな唐揚げが定番
生姜しょうゆでつけた肉を片栗粉付けてあげるヤツも絶品

串カツはバラ肉を串に巻いて作る
柔らかくて 美味しい
父の帰宅が早いと父が巻いてた

小鰯と大葉と味噌の包みあげ(ぜんぶ手さばきしてた)
揚げ出し豆腐
鯖のフライ(生姜がきいてて美味い)
ひき肉とニラと玉ねぎのオムレツ
白あえ
五目きんぴら
筑前煮
鶏のくわやき
えとせとら

わたしたち子供と父のために
添加物が怖いからと出来合いものを食べる機会が殆どなく
冷凍食品に憧れた時期もある。笑

煮物が必ずあった
富山出身の母の煮物は甘くない
一時期 甘いのがいいと言ったワガママ娘に合わせ
ほんのり甘くしてくれていた

実家ゴハン
作り方は見て覚えてる 大半は作れる
けど母のゴハンが食べたい

日曜の至福

専門学生の頃 母が日曜だけ新聞配達をしていた
ヒザのワルイ母を手伝い わたしも同行していた

帰宅すると父が起きている時間
ご飯が炊き上がる頃でもある
大ぶりのニボシを使って味噌汁をつくる
ニボシは沸騰から3分でとりだす
とりだしたニボシにポン酢をかけて食べるのが好きだった 父とわたし

日曜だからできる 丁寧に作る味噌汁は至福だった

父と共に朝食を取れるのも 日曜だけだった

上京してからは幻の日曜日

至福は儚い


2012-01-21

どなべ









ここ数日 寒さがきびしい
温かいモノを食べていても 
何か ココロもとない


なぜ


こたえは「なべ」




再上京したとき
土鍋を実家においてきたのが間違いだった


ほしいなぁ ほしいなぁ と思いながらすごしてきた
寒さに耐えかね 季節のお買い得品ともあって 買った 笑


雪平なべでも ステンレスでも ココロもとなかった
土鍋って ステキ


考えてみると コップも 器も ガラスより 陶器がすき


気になっていた「おっきいな」のナメタケ
田舎ミソで味噌煮込み
名古屋出身ですが 赤出しよりも 田舎ミソがすき
(味噌煮込みは赤出しのが好き)


田舎ミソは母の実家を思い出す
懐かしい味と土鍋で ホッコリな土曜の夜

2012-01-16

肩コリ

職業柄 万年肩コリだった

CADとエクセル 毎日 にらめっこ
間をはさんで 仮縫い用のトワル縫い

パソコンはもちろん 縫うのも肩がコル
その昔…YYの頃は毎日コムラガエリでおはようさん

U社の頃から 耐えかねて
帰りの電車はヒト駅前で降り 徒歩15分で帰宅
寝る前は30分の半身浴しながら脚のマッサージ

脚にはロクシタンのフットクリーム
これ 本当に素晴らしい

毎日 雨の日…徒歩はスキップするけれど
毎日

ウソみたいに 肩が軽くなる
ちなみに痩せる

日頃 運動もしないし 体力もない
あまり若くもないので…
せめてコレくらい…のおかげでラクになった

散歩は むつかしくても
湯船にゆっくり浸かるだけでも 身体にやさしい

一線

どうしても ダメな一線がある


その線  越える 越えないのも 本人の自由


ただ 越えるなら ヒトリ孤独にすれば良い


知ってしまったら
情け容赦なく 冷酷 非情なまでに 惨酷にしてしまう
それは それで苦しい


その一線だけは  ダメなんだ


逆に その一線さえ保てるなら 尊いのだとおもう

2012-01-15

地デジ

地デジになって どれくらい?
テレビとはあまり関わらず生活をしている アツコさん
部屋のテレビはまさかの 大きなハコ
布がかけられ「観る気ないでしょ?」と友人に言われる始末


が 去年からMacで地デジを考えていた


NHK大河「平清盛」を録画したいがタメに!


そそくさとチューナーを購入
インストールしたよ!
ユーザーに管理者権限がないため開けませんって拒否されたよ!
なんで!?
夜な夜な 友達に電話 近況話しになって夜更かししちゃった 笑


さんはMacに問題はないと言う
チューナーの会社に問い合わせ
「最新のOSにはインストール用のROMは対応してなく
 我が社のHPで最新のにバージョンアップしてください」


観れるようになりました


いろいろ録画予約した
おちついたらMacの買い増しなんぞも考えてたりなかったり 笑


久々にテレビ観ていたら 知らないヒトだらけで浦島太郎


今日の大河に阿部サダヲの出番あると いいな いいな

生きる

去年 何の為に生きるのか考えた(ヒマだったのね)
ときより 「生きる」コトが めんどうになる


生み育ててもらった命だから 大切にはしたい
わたしの生きる理由は コレだけ


ヒトさまに 迷惑をかけないように 無礼をしないように
慎ましく ひっそり 
できるだけ気付かれないように(悪いコトはしてませんが)


自分のコトでは 長く悩まない
わたしだけの問題ではないコトは 時間がかかる
これはひどく疲れる


そうならないように生きていても
対する相手も必ずしもそうとは 限らない


ココの落としドコロ
いつ 着地するのだろう


自分の為だけに生きられたら 楽なのだろうか



2012-01-12

ユメとココロ

いつからかなのか …去年のナツ
繭のそとへ出ようとしてから

眩しくて 鮮明で すごい勢いではいってくる
ヒトのおおい場所はニガテを増した

ユメをたくさんみた

トワル縫いしてる夢 何度もみた
組んで 引いて 縫って
今のわたしの日常と同じユメを何度も

自分の感情にだけ…やたらに鈍感で
理がおおきくでると ココロが掴めない
そうするとユメにでる

ユメを読むと自分のココロも読める

きょうは何をみるだろうか たのしみ


2012-01-10

つよいヒト

強いだけのヒトは いない
弱い部分がないヒトも いない


強いも弱いも背中合わせ


「弱い」が「強く」なるコトもあれば
「強い」が「弱く」なるコトもある


弱いだけのヒトも いない


強く生きる
これはドン底から這い上がるチカラが強いコト


だれでも 強くなるコトはできる
なるか ならないかは 「自分次第」