ブログで何度も書いてきたけれど
1年前のわたしには たにんごとでしかなかった
揺れ続け 目の前で あちこち地面が割れ 液状化していても
なんの実感も無く 冷静で 電車が動かないと思い 早々に歩き出した
5時間かけて 帰宅する途中
当時 疎遠になっていた両親から連絡が来た
その連絡にも 素っ気なく 淡々と答えた
帰宅して 疲れ果てて 寝てしまった
深夜 ネットのニュースで津波の映像を見た
「なぜ 自分が死ななかったのだろう」
「自分が死ねばよかったのに」
そんな言葉を放つわたしに 友人たちが怒っていても
よく わからないでいた
誰かを亡くしたでもなく
家を失ったでもなく
断水しているだけの部屋で 温かいベッドで寝ていたのに
わたしのココロは死んでいた のだと思う
あの頃は 色んなコトが重なり過ぎていて 何も見えていなかった
わたしの味わったコトは わたしにしか分からない
同情をして欲しくもなければ
同じ思いを しているヒトがいないコトを願う
被災者の受けたココロの傷も 失ったモノの大きさも
わたしには わからない
無慈悲なのかもしれないし ココロがまだオカシイのかもしれない
3.11
忘れるコトのない 特別な日ではあるけれど
1年経った いまでも 言葉を持つコトはできない
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