「アツコ」は「アタマ」 「あつこ」は「ココロ」
「厚子」は「ヒトから見たわたし」
わたし自身「厚子」に興味はなく
ヒト様のお好きなように捉えてもらえれば幸い
「アツコ」は呆れるほどに いつも何かを考えてる
空腹もコントロールできるほど強い
ときより「アツコ」は「あつこ」に困る
ココロが強く何かを感じると「アツコ」は無力だ
好きなだけ「何か」を感じたいだけ
やりたいように 気ままに 自由に ココロなりに
「カラッポ」に飽きた頃
家族や友人たちが「もういい?」と「大丈夫」を詰めてくれる
やっとやっと
自分との付き合い方が分かってきた
2011-11-30
2011-11-29
for give
ごめんなさい
この言葉を言われるのがあまり好きではない
言うのは簡単だ
申し訳ないと思うならば
己のしたコトを繰り返さない努力をして欲しい
それができないなら言葉に価値も意味もない
それができるなら
わたしが傷付いたコトなど、どうでもいい
わたしは親にヒドイコトをした
親はわたしを許そうとしている
むしろ当時、激怒したコトが後ろめたそうだ
友人たちはその「できコト」を
「仕方のないコトだ」と許してくれる
だからこそ、わたしは自分を許すコトはできない
わたしが一生をかけて親につけたキズを背負う
簡単に許されてはいけない
どんな理由があろうと
傷つけて良いココロはどこにもない
この言葉を言われるのがあまり好きではない
言うのは簡単だ
申し訳ないと思うならば
己のしたコトを繰り返さない努力をして欲しい
それができないなら言葉に価値も意味もない
それができるなら
わたしが傷付いたコトなど、どうでもいい
わたしは親にヒドイコトをした
親はわたしを許そうとしている
むしろ当時、激怒したコトが後ろめたそうだ
友人たちはその「できコト」を
「仕方のないコトだ」と許してくれる
だからこそ、わたしは自分を許すコトはできない
わたしが一生をかけて親につけたキズを背負う
簡単に許されてはいけない
どんな理由があろうと
傷つけて良いココロはどこにもない
厚子 牛乳
なんとも親近感のわく牛乳
(写真はヨーグルト)
「厚子 牛乳」
岩手県の会社で製造されていて
密かに話題を集めている
何がって、厚子って漢字は珍しい
由来もイイ
子供に美味しい牛乳を飲ませたい
その母親の子供を思う厚い気持ち
「厚子 牛乳」
何よりもかなりの美味だとか
女神山の中腹から湧き出る水で育った牛のお乳
かなり濃厚でクリーミー
病みつきになるほどの美味「厚子 牛乳」←しつこい。笑
同じ「厚子」として気になる
わたしのホームでもある「銀座」で手に入る!
行かなくちゃ!買わなくちゃ!飲まなくちゃ!
今週...行くじゃないか!
いずくんば「厚子 牛乳」
2011-11-28
スタート
立ち止まる時 スタートラインに立っている
スタートを切ったとき 向かうのは次のスタート
わたしはいまスタートラインにいる
進むときはココロで動く
スタートを切るまでに「これまで」を考えたい
人生にゴールは一度しかこない
進むのを辞めたときヒトは死んでしまう
行動を起こして後悔をしたい
失敗を沢山した方が真実の本質に触れられる
障害もなくコトなきを得るコトに学びは少ない
「イイコト」がズレると「ワルイコト」になる
「ワルイコト」は見方を変えれば「イイコト」になる
ヒト様には どれだけでも負けてイイ
誰かと競うくらいなら立ち去ろう
わたしは自分の人生に勝ちたいんだ
秩序を持ち ルールは持たない
そしてわたしはスタートに向かい続ける
スタートを切ったとき 向かうのは次のスタート
わたしはいまスタートラインにいる
進むときはココロで動く
スタートを切るまでに「これまで」を考えたい
人生にゴールは一度しかこない
進むのを辞めたときヒトは死んでしまう
行動を起こして後悔をしたい
失敗を沢山した方が真実の本質に触れられる
障害もなくコトなきを得るコトに学びは少ない
「イイコト」がズレると「ワルイコト」になる
「ワルイコト」は見方を変えれば「イイコト」になる
ヒト様には どれだけでも負けてイイ
誰かと競うくらいなら立ち去ろう
わたしは自分の人生に勝ちたいんだ
秩序を持ち ルールは持たない
そしてわたしはスタートに向かい続ける
2011-11-20
かさねたぶん
ヒトとして成長していたいと思う
わたしにとって
後退するコトは絶望で
貪欲に学び前進しなければ 生きる価値を失ってしまう
これは個人的な価値観で そうじゃないヒトを否定する気はない
ただ わたしは「厳しい」らしい
そんな「厳しいわたし」も全てを自分基準で見る訳ではない
わたしは「ヒトに厳しい」3倍 自分に厳しい
だからヒトに対して「厳しくない」つもりでも「厳しい」のだろう
わたしが何も言わなくても
「後ろめたさ」「否定」を感じるヒトが少なくないのを知っている
「怒られる」と思うヒトもいるだろう
ただ わたしが「悲しい」なのは
隠しコト 偽り 間違い かっこ悪さ
それらを「キレイな言葉」で繕い正当化するコト
ありのまま 繕わず 包み隠さず 話して欲しい
一生懸命に話してくれるコトを
どうしたら「邪険」や「否定」できるのだろうか
わたしにとって
後退するコトは絶望で
貪欲に学び前進しなければ 生きる価値を失ってしまう
これは個人的な価値観で そうじゃないヒトを否定する気はない
ただ わたしは「厳しい」らしい
そんな「厳しいわたし」も全てを自分基準で見る訳ではない
わたしは「ヒトに厳しい」3倍 自分に厳しい
だからヒトに対して「厳しくない」つもりでも「厳しい」のだろう
わたしが何も言わなくても
「後ろめたさ」「否定」を感じるヒトが少なくないのを知っている
「怒られる」と思うヒトもいるだろう
ただ わたしが「悲しい」なのは
隠しコト 偽り 間違い かっこ悪さ
それらを「キレイな言葉」で繕い正当化するコト
ありのまま 繕わず 包み隠さず 話して欲しい
一生懸命に話してくれるコトを
どうしたら「邪険」や「否定」できるのだろうか
2011-11-03
atelier-nae
楽しみにしていた展示会に
行ってきました
atelier nae
2012 Spring & Summer
「ひかり の つぶつぶ」
Facebook → atelier nae
デザイナー 横畑早苗さんとは
以前、勤めていた会社で一緒だった
沢山のデザイナーさんとパタンナーの中
縁あって、お仕事をさせてもらえた
会社を去ってから より仲良くなれた
いまではわたしの大切な大切な友人
「独立」の知らせをもらったとき
彼女の勇気と勇ましさに感動した
半年前 初の展示会
彼女の色がちりばめられた服
あたたかい空間
naeの服を着てのパフォーマンス
彼女の空気に
そっと包まれるような感じがした
今回の春夏は
わたしも...すこしお手伝いさせてもらった
naeのコレクションに参加(気分)
いつも いつも 支えてもらってる
少しでもお手伝いできたコトが嬉しかった
プリントのデザインも すごく素敵で
サンプルに会えるのが待ち遠しかった
わたしはまるで nae のスタッフ気分
今回も行われた ダンスパフォーマンス
前回のときからココロ奪われっぱなしの
ふたりの踊りは 「素敵」としか言えない
凛とした鋭く勇ましい空気
やわらかく流れにゆれる空気
ふたりの異質な空気感
nae の服にいのちがふきこまれ より輝く
服 踊り 音楽
芸術のエナジーは すさまじい
身体をかけめぐり 全ての感覚を魅了する
パフォーマンスのあと 余韻に浸り動けずにいた
あの感覚はパフォーマンスをみたヒトのみが味わえるエクスタシー
横畑さんの絶えまない あたたかい空気が作り出す空間は とても気持ちがいい
いつも いつも ありがとう
登録:
投稿 (Atom)