2010年の記憶は 断片的にしか覚えていない
2011年から蛹のように 繭のなかで自分と向き合った
ソレがいちばん近い表現
喜怒哀楽 すべての感情をじっくりゆっくり丁寧に味わう
ココロの感じるコトに耳を澄ます
塞ぎこむと だれかがかならず覗き込んでくれる
「大丈夫だよ ゆっくり ゆっくり」
やわらかく あたたかい笑顔で包んでくれる
「もう いいだろう」と繭からでたとき
醒めきった目に 直感力の際立ちに 付いていけなかった
今まで以上に いろんなコトが 鮮明すぎて まっすぐで
まぶしさに 何度も目を伏せた
半歩でも一歩
わたしは ゆっくり そっと 確実に進んだ
満身創痍でも 進んだ
「生きるチカラが強い」全てを知る友人が言ってくれた
正直 ヘコタレ続けても
すぐに立ち直って行く自分に「もうやめてくれ」と何度も思った
「もうしばらくは ゆっくりすれば良いじゃないかっ」と言っても
なにかに引き寄せられるかのように ポジティブになれた
あらたにスタートをきり 恵まれた環境で学ぶ 毎日
1年を振り返ったとき カコのわたしに「大丈夫だから進みなさい!」と
「望み続けた環境に来られるから進みなさい!」と思ってた
「なにか」のひとつは「自分」だった
いろいろあった いろいろ失った いろいろ学んだ
尊いモノを手に入れた
失った おおくのモノは「ひつようない」を手放したにすぎなくて
のこったモノは カケガエのない 洗練されたモノ
そして 手放した分 あらたに手にする「大切なモノ」
失ったモノにココロを使うのは終わりにする
大切にしたい おおくのモノに ココロをつかおう
邁進するのだよ
わたしの「大切」に
ココロから おおきく おおきく ありがとう
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